2011年4月29日金曜日

学校統合計画 説明会 2011.4.28

二葉小学校3階集会室で「統合計画の説明会」があった。

これまで一貫して外ケ輪小学校と統合することで耐震性のない校舎での危険を回避したいという方針だったが、今回の説明会では東日本大震災を受けて、まずは仮設校舎建設あるいは耐震補強工事をすることで安全な教育環境を実現し、平成32年までに24校を12校にしたいという方針に転換したとのこと。
教育長が直接おっしゃった。これだけでも、公務員としては勇気のいる判断といえる。
方針転換自体、他の自治体の対応に比べれば良心的だと感心した。

これまでの根拠があいまいなバズワードだらけの「望ましい教育環境」の作文を押しつけるやり方よりは、血が通った賢い戦略ではないか。

問題は仮設校舎建設および撤去に1,800㎡として…リースで700万円/月~、借り上げで2億円~かかるとの試算もあり、改築か統合かの協議期間をどの程度取るかによって契約形態が変わってくることになる。単純計算で2年程度ならリース契約、それ以上なら借り上げしたほうが安い。

ということは、7~8年かけるなら借り上げ契約となる。

さて、少しでも建設的な話ができるように説明会ごとの議事録を作ってくれるようにお願いした。
明日も説明会があるが、対応してくれるか…

2011年4月28日木曜日

義理

義理・人情・浪花節~なんていわれるが、意味が曖昧だったのでメモメモφ






「義理」とは、『本義は物事の正しい道筋。対人関係や社会関係において、守るべき道理。』http://ja.wikipedia.org/wiki/義理(Wikipedia)とある。


「義」とは、
人間行動・志操に関する概念である。


儒教におけるは、儒教の主要な思想であり、五常(仁・義・礼・智・信)のひとつである。正しい行いを守ることであり、人間の欲望を追求する「利」と対立する概念として考えられた(義利の辨)。孟子は羞悪の心が義の端であると説いた。羞悪の心とは、悪を羞じる心のことである。


キリスト教におけるという訳語は、ギリシア語でディカイオシュネーと呼ばれるもので、の対立概念とされる。これは他者に対して義(ただ)しい、誠実な、偽りのない態度で臨むこと、またそのような態度が可能であるの状態をいう。義しい人を義人と呼ぶ。
福音書パウロ書簡などで主題化される。
によって「義とされる」(義とする:ディカイオオー)ことも同じ問題圏に属する。
真に義であるのは神のみである(「義人はいない」)が、人間は神を信じることにおいて義さに近づくことができる。信じないことは不義と同義であるとされる。『ヤコブの手紙』によれば義しさは、神への信仰を表明することのみならず、他の人間に対する行為において現れる。
ルターは人が行動において義とされること(行為義認)を否定し、信仰によってのみ人が義とされる(信仰義認)と考え、それまでのキリスト教で行われていた苦行断食などを否定した。』http://ja.wikipedia.org/wiki/義(Wikipedia)




「理」とは、
中国哲学の概念。本来、理は文字自身から、璞(あらたま)を磨いて美しい模様を出すことを意味する。そこから「ととのえる」「おさめる」、あるいは「分ける」「すじ目をつける」といった意味が派生する。もと動詞として使われたが、次に「地理」「肌理(きり)」(はだのきめ)などのように、ひろく事物のすじ目も意味するようになる。それが抽象化され、秩序、理法、道理などの意に使われるようになった。
墨子』では、道徳的規範の意で使われた。『荘子』では自然の理法としての理があらわれ、天と結びついて天理となったり、「」と並列的に使われ、「道」が包括的概念であるのに対し、「理」は個別的概念である。
理気説(りきせつ、Lĭ qì shuō)では、「理」は事物の法則性をあらわす概念で、「」も事物を形づくり事物に生命を与えるガス状の物質と考えられた。 程頤は、気の現象する世界の奥に、それを秩序づける存在を措定して、これを理と呼び、これを究明すること(窮理(きゅうり))が学問の要諦だとした。
朱熹によれば、理は形而上のもの、気は形而下のものであってまったく別の二物であるが、たがいに単独で存在することができず、両者は「不離不雑」の関係であるとする。また、気が運動性をもち、理は無為であり、気の運動に乗って秩序を与えるとする。
王陽明は、「理は気の条理、気は理の運用」という理気一体観を表明している。


仏教におけるは、道理・義理・条理を意味し、治める、正すなどの意味で用いる。漢訳仏典では、思想的に重要な概念を表す意味で「理」という言葉は用いられない。
しかし、中国の仏教者たちは、東晋支遁(しとん、314年 - 366年)をはじめとし、漢訳仏典を解釈し、さらに独自の教理体系を築いていく際に、この中国伝統思想の重要な概念語を重用した。その場合、「理」は普遍的・抽象的な真理を指すことが多く、特に(個別的具体的な事象)と対になると、現象の背後にあって現象を現象たらしめている理法を意味する。
特に代に盛んであった華厳(けごん)教学では、「理」は最も重要な術語である。理は「事」と対比的に使われ、理事無礙(むげ)は、普遍的な理法と個別的な事象とが一体不可分で、矛盾なく調和していることなどといわれ、教学の特徴を示す言葉となっている。
仏教では、現実世界をどのように認識するかということがもっとも大切なことであり、その現実を現実のままに認識することをと言い、それを理論づけたり言葉に乗せることを理と言う。その意味で、仏典はすべて理であり、釈迦がさとった内容は「事」である。その意味で、「不立文字」は事の内容は言葉にできないことを説明している。』http://ja.wikipedia.org/wiki/理(Wikipedia)



2011年4月27日水曜日

「おやじの会」実行委員会

二葉小学校の「おやじの会」の実行委員会があった。
和気あいあい、パワフルだった。

今年度の内容は…
5/15(日)     校内環境整備および懇親会
8/6(土)~7(日) サマーキャンプ 校庭でテント張って。飯盒炊爨&カレー&キャンプファイヤー!
10/23(日)    二葉フェスティバル(文化祭)で縁日
2/14(火)     節分(予定)

終わった後の飲み会がまた楽しいらしい!

キャンプファイヤー、楽しみだw

2011年4月26日火曜日

中国の古典

中国の古典は、古来から日本に大きな影響があった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/四書五経
http://ja.wikipedia.org/wiki/儒教
思想的な面と歴史教育・道徳教育的な面がある。
形骸化すると害悪となる場合もあったようだ。


程朱学(朱子学)
http://ja.wikipedia.org/wiki/朱子学
『教育勅語』のバックボーンとされた。
しかし、昭和の陸軍が現実感を失った組織になってしまった理由について、儒教化とりわけ朱子学化したからだとの所説もある。


教養として知っておいて損はないが、行き過ぎは拙いうことか…。

2011年4月25日月曜日

「黄金の3日間」について

新しいクラス編成の初日から3日間を「黄金の3日間」といっている団体があるそうだ。
たしかに、どんな組織でも初動は大切。
でも、ちょっと待て…。


初日!出合いの授業(授業記録より)秋田県/三浦 弘さん
http://www2.ocn.ne.jp/~boss/syonichi.htm

『(C)TOSS TWO-WAY  学級/学級崩壊を防ぐ技術 TOSS 大阪「風来坊」 石田 博一さん』
http://www1.ocn.ne.jp/~h-ishida/3kakann.htm

TOSS(トス:Teacher's Organization of Skill Sharing(教育技術法則化運動)の略)とは、向山洋一を代表とする、教師の教育技術についての方法(=指導法)を提唱する集団、及びその活動である。古くは「法則化」とも呼ばれていた。TOSSの組織や公開されている指導マニュアルについては、批判も存在する。
http://ja.wikipedia.org/wiki/TOSS
批判とは、
TOSSと疑似科学の親和性は以前から批判があった[3]。これは、TOSSがEM(有用微生物群)についてその当初から環境教育として積極的に採り入れてきたことによる。そもそも、TOSS設立以前から向山はEMを積極的に環境教育に採り入れてその普及を図ってきた[4]が、そのEMの微生物群としての有機物分解能力の(他の土壌改良資材と比較して優れているわけでもない)有用性についてのみならばともかく、EMの開発者である比嘉照夫EM技術についての波動測定装置による有効性検証とするものや、「八〇〇度でも死なない」といった言葉までも無批判に信じて教育に採り入れている点が、疑似科学を教育現場に持ち込むものとして批判されたものである。


その後、「水からの伝言」への疑似科学批判のなかで、「水からの伝言」についての授業実践例がTOSSランドに登録され、TOSS関連書籍の中でも紹介されるなど[5]、TOSSの活動のなかで用いられ、そこからTOSS以外への教師へ広まっていったことが確認された[6]ことによって注目された。
これについて、
  • 疑似科学を授業に用いるべきではない
  • 二分法で『いい言葉』『悪い言葉』を分類するのは無理
  • 水の結晶に良い悪いを判断させるというのは、物事を形だけで判断するのは良くないという道徳と矛盾
と言った観点からの批判が相次ぎ、現在はTOSSランドから削除されている。しかし、そもそもTOSSはなぜ水からの伝言を用いた授業を登録したのか、なぜ削除に至ったのかといった経緯を明らかにしていないため、水からの伝言に係る誤解は放置されたままであり、依然として学校の授業において実践される事例が後を絶たない。
また、科学者の間では疑似科学であるとの評価が定着したゲーム脳もまたTOSSでは広く取り上げられ、関連書籍や雑誌で紹介されてきた[7][8][9][10]。 そして、ゲーム脳を扱ったコンテンツは2007年3月まで数件登録されたままであった[11]
加えて、前記のEMについて、TOSSランドに環境教育のサブカテゴリとしてEMを明示して多数のコンテンツを登録している[12]。こうしたことから、TOSSは疑似科学を排除したわけではなく現在でも拡大助長していると批判する人々は判断している。そのほか、疑似科学と一般に判断されているものでTOSSで扱われているものに脳内革命が挙げられる[13][14][15][16][17][18]。 これらの疑似科学は、主に道徳総合的学習において取りあげられる割合が高い。背景には、教師側に単純で判りやすい正解を求める傾向があり、科学的な検証を経ることなく、無批判、盲目的にTOSSの指導法を信じているものと考えられ[19]、TOSSが本来目指しているとされている「追試による指導法の発展」が、全く機能していないことを示す結果となっている。
なお、より厳しい批判としては、向山とTOSSが確信的なオカルティズムに基づいているとし、これを愚民教育であるとする意見もある。」(Wikipedia)


比嘉照夫さんについてはEM菌をめぐる人々という批判の記事もある。
ネットには、いろんな情報があるもんだ。
鵜呑みにするのは危ういか。

確かにイイことも言っているが、なるほどひとつの考え方(情報)として接してみたい。

小学校の学級崩壊事情

小学校のこと(Wikipedia)
http://ja.wikipedia.org/wiki/小学校








学級崩壊(Wikipedia)
http://ja.wikipedia.org/wiki/学級崩壊
教師の教育技術の欠如、いじめや学級内の人間関係に起因するもの、家庭でのしつけの欠如、もしくは発達障害児(学習障害ADHDなど)の児童生徒が誘因となる授業の遅れ・荒れによるもの、教員の人員配置や教員間の人間関係が主要な原因の1つとなっているもの、学区が教育困難な地域であること…などが絡み合うらしい。
以下、Wikipediaから引用。
学級崩壊を防ぐ方法については様々な方法・指導理念が提唱されている。

教師努力を重視するもの
行政的な対応を重視するもの
上記が、近年注目されている学級崩壊を防ぐ方法である。しかし、人間相手の仕事に、「こうすれば必ずうまくいく」というような決定的な方法は存在せず、学級崩壊の原因・特徴自体も、地域・校種・学年・学力などにより様々である。これらの方法を過信することには慎重であるべきである。」
学級崩壊を解決する決定的な手段は存在しない。そもそも学級崩壊には様々な原因があるが、多くの場合教師が児童からの信頼を失うという形態を伴う。学級崩壊した時の先生が、それを立て直すというのは非常な困難を伴う。関連文献のうち『学級崩壊からの生還』では、その宣伝文句で「唯一学級崩壊からの生還の記録」と謳っているものの、実態を見た場合、その多くが「前年度に崩壊していた(他の教師)のを立て直した」「自分が担任で崩壊させた学級が少しましになった」「学級崩壊したクラスでそのまま耐え切った」というもので、「自分で学級崩壊まで行ってしまい、自分でそれを立て直した」という例は1つも無い。せいぜい、「自分で荒れさせてしまったのを(学級崩壊の前段階まで)立て直した」というのが2例あるだけである。
学級崩壊をして同じ先生が立て直す方法はないが、学級崩壊の改善の方向には次のような事が有効であるとされている。
  1. 学校全体で取り組む。
    (教頭などをクラスに入れ、複数体制で臨む。ただし小学校の場合、荒れていないクラスを複数の先生が見ると、ルールの混乱などで、かえって荒れの原因となる場合がある)


  2. 保護者の協力。
    (保護者が日替わりで教室に入る。ただしこれも学級崩壊していない普通のクラスで行うと、子供が落ち着かなくなる)


  3. 担任教師が病休などを取り、交代する。
    (一般にはあまり知られていないことだが、実際の教育現場では「校長判断による病休」も存在する。ただし非常に少数である)


また、学年が変わる時の学級解体と学級再編成(いわゆるクラス替え)は、学級崩壊の改善策として非常に有効となる場合がある。
従来の学校教育においては1・2年/3・4年/5・6年が同じクラスであることが多く、3年生時、5年生時にクラス替えをすることが多かった。そのため、1年生・3年生・5年生の時に学級崩壊していても、保護者や担任が何ら働きかけをしなければ、その崩壊したままの学級で次年度に持ち越される場合が多かった。崩壊したクラスに指導力のある先生が配属され改善される場合もあるが、次年度も学級崩壊を引きずる場合・担任の力が及ばず、かえって酷くなる場合も非常に多い。これを防ぐためには、崩壊したクラスの保護者が一致団結して、学校側・校長にクラス替えを強硬に要求することが必要となることもある。とはいえ、教育現場では特に5年生から6年生に上がる時に学級解体・クラス替えすることは当該の学年を担当する教師および校長・教頭にとって非常に不名誉な恥辱とされ(指導力に疑問を持たれるため)、実際には極めて困難である。
しかし、学級崩壊の現状を持ち越すのは子供自身の教育にとって良くないことは明白であり、保護者によるクラス替えの要求という方法は有効となることもある。」

みんなが仲がいいのがいちばんだ。

2011年4月22日金曜日

学習参観

きょう初めての学習参観にいってきた。
国語の時間で「音読」を元気よくやっていた。

その後、PTA総会→学年懇談会という流れ。
平成25年で50周年となることを知る。
どうなる、二葉小学校!

とりあえず、PTA役員の皆さんや教職員の皆さん、お疲れ様でした。

2011年4月21日木曜日

回覧板

回覧板に綴じられて「二葉小学校と外ケ輪小学校の統合に関するご質問・ご意見と市教育委員会の考え方について」という冊子がきた。
説明会で指摘があったり、質問に答えられず後ほど回答するとしたことも
盛り込まれていない。使われたものと同じ。


「なにを言っても無駄ですよ」という意思表示なのか…。
ありていにいうと「市の方針なんで、27年には統合を完了しますよー。あと3年くらいはご質問やご意見を聞かせていただきますが、26年になったら統合の準備にかかるのでー。あ、耐震指標が低いですが倒壊した校舎の例はないし、地震があって天井が落ちてきたりコンクリ塊が落ちて死傷者がでたら、その時は想定外ということで少ないですけど税金で保証しますからね。ま、地震は起こらないと思いますけどねー。この校舎を耐震化するつもりはさらさらないし、心配だったら統合を前倒しでしましょうね!あきらめが肝心ですねー。」ということなんだろう。


当事者意識は無いかもしれない。
保護者としては、そこが一番心配どころだ。
東京電力と体質はさして変わりない。


で、説明会を開くほど統合反対の人が増えていくかもしれない。
もう少し、うまくやってくれたら角が立たないと思うのだが…。


さて、明日はPTA総会があるとのこと。
どんな話になるのやら。

エネルギー問題の記事から

ここが大間違い! 日本の原発・節電対策 | 実践ビジネススクール(ロイター)
http://president.jp.reuters.com/article/2011/04/19/8CB40D20-6572-11E0-9FD5-C8F83E99CD51.php
発電事業への参入を自由化する。異業種からの参入もあるから、9電力は競わなければならなくなる。世界一高い市場なので世界の資源国から日本の発電事業に参加したいという声が上がるだろう。発電や送電事業に対する参入規制を解けば、外資がどっと日本にやってきて、電力供給はむしろ安定するだろう。発電コストも大幅に下がって、電気代は半分になるかもしれない。災い転じて福となす。日本のエネルギー政策を根本的に見直せるのは今しかないのだ。」(大前研一)
という記事があった。
この人はマサチューセッツ工科大学にいた人なので
アメリカの物差しで考えているようだ。うまくいけばいいのだが…。


東京電力と政府の配慮に欠ける唐突な対応が風評被害や不公平感を拡大させたということだ。
大企業とか行政の体質なのだろうか。


原発がクローズアップされれているが、火力発電所の甚大な被害があったらしい。
原発のバックアップに欠かせない火力発電所だが、地震への対策がこちらも甘かったとのこと。


こういう企業体質・行政体質の記事をみると、行政にとっては学校の安全性(=子どもの命)なんて優先度が低い政策なんじゃないかと不安にもなる。

2011年4月20日水曜日

二葉小学校統合計画についての新発田市への質問状

新発田市教育委員会や議会報告会に参加して質問された方がいる。
新発田市へもメールで質問され、その回答が公開されている。
新発田病院跡地の利用計画について Q. A. - 新発田市
たいへん見識のある要点を押さえた質問だが、
明確な回答がなされていない。説明会と同じだ。


この回答をみると、新発田市の一貫した姿勢が見て取れる。
①平成27年までにあくまでも統合計画によって耐震化率を100%にしたい
②それまで地震が起こり被害があった場合は想定外とする
③反対は説明不足のためであり、粘り強く理解を求めていく


いちばん危惧している現在進行形の危険については、答えないという方針のようだ。


市長および関係部局、市教育委員会の人事も一新されているので
対応の変化は期待できるのだろうか。
一般的に教育委員会は形骸化が指摘され、たとえば文科省・県教育委員会・県教育庁・各地域教育事務所および市の意向が強く反映されている場合が多いそうだ。
教育長にしても市役所人事では閑職との指摘もある。
だとすると、説明会でいくら訴えても時間の無駄かもしれない。
新発田の場合、構造的にどういう風になっているか調べてみる必要がある。


ちなみに、同じ新潟県でも十日町では…
「十日町市における望ましい小・中学校の在り方に関する方針」
http://www.city.tokamachi.niigata.jp/page/000006019.pdf
では、「中1ギャップ解消のための小中一貫校」「児童の減少予測、学校と地域との繋がり、地域住民の意思等を勘案すると、これ以下の規模もやむを得ないものとします。」など細かい配慮や説明が見られる。これは、よく練られた案だと思う。


とくに、地域との繋がりや地域住民の意思といった「地域の学校」という認識が文章になっているところがいい。



2011年4月19日火曜日

新潟県教育庁下越教育事務所

新潟県では、教育関係は教育庁というところでまとめているらしい。

新潟県の義務教育を所管する新潟県教育庁義務教育課
http://www.pref.niigata.lg.jp/gimukyoiku/


新発田を管轄しているのが…

新潟県教育庁下越教育事務所
http://www.pref.niigata.lg.jp/kyoiku_kaetsu/

こちらに県の教育関係の有能な人材が集まっているとのことだ。
内容をよくみて勉強したい。

2011年4月17日日曜日

おやじの会

新発田市で唯一「おやじの会」がある二葉小学校だが、
なかなか活発に活動されているようだ。

インターネットで調べてみると、いろんな動きがあるものだ。

おやじの会(Wikipedia)
http://ja.wikipedia.org/wiki/おやじの会


特定非営利活動法人 日本おやじ

http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20110106/1294332832
某宗教団体が絡んでいるケースもあるそうだ。


日本「おやじの会」連絡会
http://www17.plala.or.jp/nippon-oyaji/


日本全国おやじの会
http://www.ichinoseki-net.jp/oyaji/link/p-5.html


横浜市おやじの会親子ふれあい事業
http://www.city.yokohama.lg.jp/kyoiku/gakusyu/oyajinokai/

家庭での勉強方法調査②

子どもには、いろいろな可能性がある。
自分がボンクラなのでタカが知れているが、どれだけ選択肢を見せてやることができるか。

まず、日本や海外におけるエリート教育の様子をつまんでみると…

社会教育学http://ja.wikipedia.org/wiki/教育社会学(Wikipedia)



韓国:エリート学生の自殺続発 科学技術系大、総長が極端な制度(毎日)

あんまりエリート教育が制度化されすぎると、ついていけない学生はストレス鬱積だ。
日本のエリート教育http://ja.wikipedia.org/wiki/エリート (Wikipedia)
明治期の「野戦型指揮官」の時代と異なり、「学校秀才」による危機管理の際の不手際は恒常化し、行政分野における伝統となった市民無視、対市民規律の欠如も垣間見ることができ、官僚化ないし労働者化した組織内に典型的に見られる“無責任の体系”としての抑圧移譲の法則性もまた、見出すことができる。さらに、これらに附随して、モラル(道徳)の退廃と特権意識が醸成されうるし、現代では、事実上の教育格差を背景とした世襲化の傾向も指摘されている。




学歴難民