2012年7月24日火曜日

アクアマリンふくしまの復興日記が終了に

福島県いわき市にある「水族館アクアマリンふくしま」は、
震災前に家族で新潟からいわき市まで
朝4時から車を飛ばして遊びに行った思い出の水族館。
はじめて水族館の裏側を見せていただくツアーに参加できたりして、
子どもらも大ファン。
復興中の様子を担当の富原さんという方がブログで紹介して下さっていて、
拝見させていただいた。
終了してしまうというニュースが流れ、たいへん残念。
終わり方も、ちょっと切ない。

以下引用させていただいた。

アクアマリンふくしまの復興日記※引用元が閉鎖となったため画像が表示できません(2012.8.1)

このブログが始まったのは震災後の3月31日でした。

当時、津波の影響で電源機器が壊滅し公式HPでの情報発信が困難になったため、Yahoo!さんのブログをお借りして、復興中のアクアマリンふくしまの状況を皆様に伝えてきました。
多くの読者さまに応援されながら、アクアマリンふくしまは復興し、現在に至っています。
アクアマリンふくしまが営業を再開したのは昨年の7月15日でした。
それから1年経ち、この復興ブログの取り巻く環境も変わってきました。
復興の記事よりも日常の記事が多くなり、「そろそろ復興日記ではなく…」との上司の声もあります。
まあ、それだけでは、このブログを終了するつもりもありませんでしたが、なにやら最近、ブログの記事に対する圧力がかかってきています。
更新した記事に対して、経営方針に関わるとの考えで文章の訂正を求められたり、外部からの苦言で画像を消去させられたり…
大した内容でもない記事(福島県への嫌み)に対して、修正を行うだけなら我慢はできますが、我々現場の人間が本当に伝えたいことまで消去させられるのは我慢できません。
多くの読者様と共に歩んできた「アクアマリンふくしまの復興日記」をこれ以上汚されたくないと考えこのブログを終了する決断をしました。
特に今、私が取り組んでいる福島県を取り巻く原発問題について、今後、情報発信する際にこのような圧力がかかる可能性があるのであれば、現在の職を続けていくことは私には無理です。
ということで、私の机の上には今、明日、提出する予定の退職願が置かれています。
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放射線の問題に対しては真摯な気持ちで取り組んでいきたいから…
職を賭して伝えなくてはいけないこともあります。
例えばこのようなことがあります…
現在、いわき市の復興イベントで福島原発近くの福島県大熊町のホタルを放流し、大熊町から避難してきている住民を応援し、町の復興に結びつけようとするプロジェクトがあります。
http://www.f-hotaru.jp/
このプロジェクトに対して私が警鐘の意味を込めて地元紙に投稿した記事です。
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今回のプロジェクトに関しては早い段階で把握しており、初期は主催側から協力も求められていました。
目的が被災者支援、風評被害対策の一環で行うという点で最大限応援をし、その際、生物多様性を守れるのなら、ご協力させていただきますと伝えていました。
ホタルの放流よりも先にホタルの棲める環境作りを、まず行わなくてはならないこともお伝えしました。
放流するだけでは意味が無く、定着させていかなくてはいけません。
そして、様々な生物の放流活動が与える、生物多様性の破壊についてもご説明させていただきました。
その後、具体的に協力を求められることはなく、他のホタルの専門家の助言の元にプロジェクトを進行していることを聞きました。
結果、私が放流の事実を知ったのは6月4日のテレビの報道によるものでした。
45.7km。この数字はいわき湯本駅から大熊町役場までの直線距離です。
地図をよく見て頂くと分かるのですが、この間にたくさんの川が流れています。
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このプロジェクトでは熊川水系のDNAを持つゲンジホタル300匹が湯本川調節池に放流されました。
飛翔能力が弱いホタルにとってこの距離はどういう意味があるのでしょうか?
淡水棲生物は河川ごとに遺伝子の違いが見られる場合もあり、むやみに放流をすると遺伝子の拡散が起こり、「生物の多様性」を破壊することになってしまいます。
生物多様性の保全は「種の多様性」、「遺伝子の多様性」、「生態系の多様性」の3つの柱があります。
「遺伝子の多様性」とはそれぞれの地域個体群の遺伝子を保全する(他地域の個体群との雑種化を防ぐ)ということです。
復興のためのプロジェクトの主旨は理解できますが、生物の「遺伝子の多様性」の保全のために今回のホタルの放流自体には私は反対です。
なぜなら、この放流地点5キロ圏内に最低3カ所以上のホタルの生息地があるからです。
元々ホタルが生息している土地になぜ、遠く離れた地域のホタルを放流するのか…
憤りを感じます
この写真の場所は今回放流された地点から数キロ離れた、地元の方々が大事に見守っているホタルが生息している里山です。
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本来、ホタルはこのような場所に生息しています。
では、放流された場所は…
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国道がすぐ横にあり、交通量も多い場所です。
これでは車のヘッドライトに惑わされ、ホタルは繁殖できないと思われます。
そして…
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コイだらけ。
こんな所でホタルの幼虫が育つのか疑問です。
確かに今回放流した場所は…
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大きなコイが入り込めないようになっていますが、どう考えてもこの場所では再生産は難しいでしょう。
幼虫を放せば、その年はホタルは光りますが…
ホタルを光らせるために毎年放流するつもりでいるのでしょうか?

先日の台風でこの調節池も増水し、濁流に流されていました。
この時、どれほどのホタルの幼虫が流され、その先にあるコイの池に入ったのか…
自然保護の観点からは放流された他の地域のホタルが定着できないことは喜ばしいことですが、このような放流は、ただホタルの命を無駄にしているだけに過ぎません。
アクアマリンふくしまの「オセアニック・ガレリア」には淡水環境の保全のコーナーがあります。
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ここでは震災前からホタルの放流について警鐘を鳴らしています。
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今回のプロジェクトが、ただ単にホタルの放流だけなら、再生産のできそうにない土地ですし黙認する事も可能でした。
なぜなら、過去に何度もこのようなホタルの放流事実があるからです。
今更…というわけです。
いずれ、この国内移入種の問題は法整備も含めて考えねばならないことですけどね。
なかなか、この問題が解決しないのはホタルの放流はもともと、動物園水族館の主導のもと行われていた事だから大きな声をあげづらいのかも知れません。
分子生物学の進歩により、遺伝子の解析が進む中で、ようやく他地域からの生物の放流を極力、行わないように注意を払うようになってきました。
   
「生物多様性」の問題とは別に私が問題だと思っているのは「ホタルは0.5μSv/hの放射線を浴びると光らなくなる」と主催者は主張し、ホタルが復興に結びつくと信じてプロジェクトを行っている点です。
  
「ホタルは0.5μSv/hの放射線を浴びると光らなくなるので、ホタルの光るところは放射線が低い」とアピールしたいようですが、本当なのでしょうか?
我々は昨年3μSv/hの土地でホタルが光っていることを確認しています。
そこで、6月12日に直接、そのホタルの専門家に会いに行きました。
以下、聞き取り調査の結果です。
●0.5μSv/hでホタルが光らなくなるとの研究は茨城大学との共同研究で行ったとのこと。
データを頂きたいと申し出ましたが、「文部科学省から止められているから出せない」と断られました。なぜ止められているのか理解はできませんが、論文としては発表されていないようです。

●実験自体は7年前に行ったそうで、放射線源にラジウム鉱石を使用したとのこと。
●0.5μSv/hで発光細胞が破壊され始めるのであって、光らなくなるわけではないことも、認めていました。では、実際に光らなくなると思われる線量はどれぐらいであるか質問したところ20mSv/hで光らなくなるのではないかとも。
実験内容があまりに不審な点が多かったため、今度は茨城大学の放射線が専門の教授にお問い合せしました。
以下、回答です。
ホタルの件ですが、生物学的にそのようなことはありえません。ヒトの細胞でも0.5マイクロシーベルト毎時の条件では死ぬことも機能変化することもありません。昆虫の細胞は、基本的にヒトの細胞よりも放射線に強いので、そのようなことはないはずです。マイクロがない線量率ならば(つまり0.5シーベルト毎時で何日も飼えば)あり得るかもしれませんが、そんな施設は本学にはありません。
茨城大学の放射線生物学者は、小生以前には環境放射線をやっていた人がおりました(すでに定年退職済み)が、その方がそのような実験データを出せる手法をお持ちであったとは思えません(そもそもそれなりの線量率が出せる放射線源は小生が着任するまでは茨城大学にはありませんでした)。また、ラジウム鉱石で照射するなんて専門的な実験とは申せませんし、それだけのラジウム鉱石は茨城大学にはありません(これは小生が本学の放射性物質の安全管理責任者として、把握している事実です)。7年前には小生は茨城大学に来ておりましたが、少なくとも理学部(理工学研究科の理学系)ではそんな実験をしたという話はありませんし、文科省からの研究費でそのような実験があったとも聞いておりません。
基本的に文科省の研究費で公表不可ということはありませんから、もしあれば、学内ですぐに追求を始めます。
とのことでした。
最初、茨城大学さまにご迷惑が掛かると悪いので、大学名は伏せようと考えていましたが、公表しても構わないとの事でしたので、お名前をださしていただきました。
ありがとうございました。
ということで、何ら科学的根拠のない事象をもとに今回の復興プロジェクトが行われています。
件のホタルの専門家のブログを見ればどんな人物か分かりそうなのに…
放射性物質をナノ純銀が減らす」などの科学的な根拠のない記事も目立ちます。
何故、今回のプロジェクトの主催者たちは調べなかったのか?
それは、自然保護とは別に町に観光客を呼びたいだけのイベントだったからでしょう。
先に紹介した地元紙での私の警鐘は主催者たちを激怒させました。
「福島県へ抗議する」との脅しともとれる抗議文が会社に送られてきました。
まあ、元より、このブログで福島県への嫌みを書き綴っている私としては、あまり意味のないことなのですが…
A4用紙4枚にわたって、今回の詳細を主催者に伝えましたが、あまり理解されなかったようです。
2回目の抗議文が届きました。
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その中の一文を私は見過ごす訳にはいきませんでした。
 「我々は、ホタルも大事であるが、自然保護活動を主なる目的としているものではなく、いわき湯本温泉の復興を願い活動するものであり…」
地元の復興のためなら何をやっても良いというのか?
仮に、ホタルの専門家の実験の内容、0.5μSv/h でホタルが光らなくなることが事実だった場合、それによって、いわき市が安全だと世間に伝わるかも知れませんが、普通に0.5μSv/h 以上ある場所が多くある、他の地域の方は今回のプロジェクトをどう思うのでしょうか?
自分たちはホタルも棲めないところに住んでるのかと思ってしまうのではないでしょうか。
0.5μSv/h 以上は危険だと福島県外の人々に捉えられませんでしょうか?
福島復興を促進するはずのプロジェクトが逆に風評被害を引き起こさないかと懸念を抱きます。 

観光施設である水族館が、地元の温泉街のイベントにクレームを付けるということは、本来、やってはいけないことです。

しかし、これは福島県全体の信用に関わることです。
私にしか知り得なかった事実は、私が公表する義務があると思い、この記事を書いています。
ただ、会社の業務命令としてこの記事の削除を求められるかもしれません。
ですから、退職願を明日、出すつもりでいます。
この「アクアマリンふくしまの復興日記」を応援してくださったみなさま。
いままで、応援してくださいまして、ありがとうございます。
このような終わりかたをしてしまい、申し訳なく思っております。
このブログの記事は7月31日に非公開設定に致します。
ただ、最後ですので今回の記事に限りコメントを可能にしておきます。
1年と4ヶ月もの間、お付き合い頂きましてありがとうございました。






事実関係は、正直分からない。
関係先の言い分も、聞いてみたら的を射ているのかもしれない。
ただ、このブログがなにかを検証する材料になるかもしれない。

どうであれ、
また「アクアマリンふくしま」にいって、
子どもらを楽しませてあげたいものだ。

2012年7月9日月曜日

日章旗(日の丸)は新発田で生まれた?

新潟県新発田市の図書館に本を返しにいったついでに、PRコーナーで「新發田新聞かわらばん(2012年6月1日:発行者 榎本紘一)」というのをみつけて拝見した。2面に『街おこしは まず住んでいる人々が楽しまなくては』という脚本家 杉山義光さんのインタビューがあった。
 この記事によると、新発田の溝口家は外様大名で、江戸城の中では正に廊下の隅に座る存在だが、外に出れば鹿児島の島津家と親交があり、あの日の丸の旗の図案を考案したのが新発田藩であるとあった。

初耳でビックリしたので、ちょっとインターネットであたってみた。

まず、陸上自衛隊新発田駐屯地の駐屯地便り(昭和34年2月号)にこんな記事。

駐とん地便り
 日章旗誕生の聖地

 新発田を語るに、先ず市の西北を流れる加治川を落すことは出来ない。加治川は新発田地方の母である。
 遠く乱世の時代には、侵入する外敵を防ぐ唯一の大防壁となり、近くは豊穣を誇る加治川産米育成に寧日なく灌漑の便を供し、新発田繁栄の原動力となっている。陽春四月にその加治川を訪れ、堤防に上って先ず一驚する事は、花爛漫と咲きほこる巨大な桜樹が両堤上に延々と立ち並んでいることである。その数、正に六千本、長堤七里(二十八キロ)に亘り只これ桜叉桜の景観である。
仰げば遙か遠く飯豊連峰は未だ白雪を頂き、その影を写した加治川の清流は燎乱と咲きほこる桜花トンネルの中を一陣の春風に繽紛と舞い落ちた花片を水面に浮べ乍ら、悠久の流れを続けて行く。 
世に桜の名所として三千本を誇る吉野山を筆頭に、京都の嵐山或いは東京の上野等数多いが、これ等は何れも桜のみの風情であって、およそ、その規模と云い叉桜と水の配合の妙と云い、此の加治川の風景には到底及ぶべくも無いのである。
殊に下流の眞野水門の附近は、実に加治川風光中の白眉で『あらひせき』と称する百五十五メートルの河底を両岸にかけて造られた恰も水中の堡壘かと思われるコンクリートの大斜面に桜花を写して急流が堰を切って放射する如く落ちて行く。堤上に埋った観桜客は、只々、陶酔の境地に誘われると云った有様。正に一幅の名画の感がある。市民一様に東洋一の桜花と誇るのも蓋し、当然と、うなづかれるところである。
 此の桜を階上から望む事が出来る吾々の隊舎は、新発田城趾にある。此処は溝口藩、三百年間に亘る居城の跡である、一木一草に至る迄永い歴史の夢を秘めている。溝口歴代の藩侯は治水墾田と民衆愛無の善政によって名を知られているが、特に十一代溝口直諒は健斉と号し、名君のほまれが高かった時、偶々幕末多難の時に遭遇したのであるが、その開国海防の新思想は卓然として藩論を指導するとともに氏族と国家百年の大計の為に国旗の考案には心血を注いだ。
 或る日、健斉将士を集め城頭高く一族の旗を掲げた。へんぽんとひるがえる日の丸を指し「この旗こそ日本民族の光とならん」と叫んだのである。
 後日、此の旗を薩摩の島津侯の推薦により明治政府を経て奏請、日本国の国旗として制定されたものである。ともあれ戊辰の役後、天守櫓を始め多くの城櫓され、今は僅かに石垣と城濠と大手門、それに隅櫓が一ヵ所残されているのみで往時の面影は無いが、蓮の花咲く濠端に佇んで高さ七メートル、西南二方面に延々五百五十メートルに亘る城壁の上に、四季変わらぬ翠緑の影を写して天にする老松を仰げば、溝口健斉の独創的見識と遺風が、颯々と胸に迫るを覚えるとともに、日本最初の日章旗掲揚の地にありて朝夕国旗の掲降に粛然と襟を正す。その一刻日々新たに使命の重きを特に反省出来得る事を、この上ない喜びとしている駐とん地としては、全国何れの駐とん地に較べても勝るとも劣らないであろう。
                             (第三新隊員教育隊本部 一尉)
                                   昭和三十四年二月号」

ということは、十一代溝口直椋候を調べればわかるか…。ネットで検索したら清水園の特別展の案内文がでてきた。ちなみに、清水園HPにも記載がある。




「4月28日~8月31日の間
清水園 資料館において下記の展示を行います。

*日章旗の考案者
十代新発田藩主 溝口直諒侯特別展*

日の丸を国旗にと、薩摩藩主島津斎彬侯により公儀に進言されるが、この考案者は直諒侯であると伝えられています。尊王開国を唱え著作においては健斎、画名は景山、茶事は翠濤など多くの雅号を持ち、多彩な才能に恵まれた直諒侯の所蔵作品を中心に
特別展をいたします。」


少なくとも、民間伝承のレベルではなさそうだ。
出典については梅田又次郎「勤王開国先唱者 溝口健齊公」電子書籍参照。

たぶん書簡か何かがあるのだろうか。


ところで、日章旗(日の丸)についてみると、日本の国旗(Wikipedia)では


1854年嘉永7年)3月の日米和親条約調印後、外国船と区別するための標識が必要となり、日本国共通の船舶旗(日本惣船印)を制定する必要が生じた。幕臣達は当初「大中黒」(徳川氏の先祖である新田氏の旗。白地に黒の横一文字)を日本惣船印に考えていたが、薩摩藩主島津斉彬、幕府海防参与徳川斉昭らの進言によって、「日の丸」の幟を用いることになり、同7月9日老中阿部正弘により布告された。島津斉彬が進言した理由は、鹿児島城内から見た桜島から昇る太陽を美しく思い、これを国旗にしようと家臣に言ったといわれている。また徳川斉昭は、大中黒は一氏族の印だが日の丸は歴史的に日本が使用してきた印であるからと進言したといわれている。 翌1855年安政2年)、島津斉彬は洋式軍艦「昇平丸[9]を幕府に献上するが、このとき初めて日章旗が船尾部に掲揚された。これが日章旗を日本の船旗として掲揚した第一号である[10]
1859年(安政6年)、幕府は幟から旗に代えて日章旗を「御国総標」にするという触れ書きを出した。日章旗が事実上「国旗」としての地位を確立したのはこれが最初である。
1860年万延元年)、日米修好通商条約批准書交換のため、外国奉行新見豊前守正興を正使とする幕府使節団アメリカ合衆国に派遣され、アメリカ軍艦ポーハタン号と日章旗を掲げた咸臨丸に分乗して太平洋を横断した。 使節団はサンフランシスコに到着後、更に陸路・海路を経由してワシントンD.C.に到着し、アメリカ合衆国大統領ジェームズ・ブキャナンに謁見して批准書の交換を終えた。その後、使節団一行はニューヨークを訪問するが、日章旗と星条旗が掲げられたブロードウェイパレードする模様が伝えられている[11]。これが国旗として日本国外で初めて掲げられた日章旗とされる。


と、溝口候の記載はいっさいない。あくまで諸説のなかの一つなんだろう。
が、もっと調べるとおもしろいかもしれない。

【ドッジボール】原信ナルスカップ(全国大会新潟県予選)

小学生ドッジボールの新潟県大会があった。
結果はコチラ http://www1.rocketbbs.com/412/nbl0401.html
この大会は8月12日(日)に舞洲アリーナ(大阪市)で開催される全国大会の県予選も兼ねていた。



 うちの小学校のチーム「ドルフィンズ二葉」は
予選1位通過と大健闘だったが、決勝トーナメントで惜敗。残念無念。

今回優勝したバイオレットファイターズは強豪なので、全国大会での活躍を期待したい。



で、初めて審判員をやらせていただいた。
20試合程度、線審と記録・時計の係。
サッカーほどではないが、ドッジボールの審判は、かなりハード。2試合目で足がつったwww

子どもたちが真剣に取り組んでいるので、
なんとかサポートしていきたい。

2012年7月2日月曜日

土を使わない農業の最新テクノロジー

森有一 早稲田大学理工学術院総合研究所客員教授の「高機能性高分子膜による植物栽培技術」(TED×Tokyo:YouTube)が凄い。土壌汚染のある所や砂漠などで、食糧生産が可能になる技術。植物工場などで利用すれば、どこでもいける。できた野菜は栄養価に富み、とにかくおいしいらしい。フィルムの供給が一般化すれば、おもしろい。

2012年7月1日日曜日

新発田城(国の重要文化財)に入ってみた

新発田城(新潟県新発田市)は、二の丸隅櫓と大手門が国の重要文化財に指定されている。
新潟県内では唯一、日本海側でも松江城予、江戸時代から残る城郭建築だそうで、
天守の代わりになっていた三階櫓復元されている。無料で内部を見学できる。