教育基本法改正に合わせて、いわゆる教育3法(学校教育法等の一部を改正する法律、地方教育行政の組織及び運営に関する法律の一部を改正する法律、教育職員免許法及び教育公務員特例法の一部を改正する法律)ができた時期のもの。
ひとつのテーマが「教員評価」。
教員の免許更新制、指導力不足教員の対応強化、教員評価を踏まえたメリハリのある給与体系など。
この記事によれば、
教育3法改正に盛り込まれた教員免許の更新制導入の際の議論でも、教員の能力向上のためではなく、問題教員の排除に使え、という声も強くありました。
さらに教育再生会議の第2次報告にとりまとめられたのが、「教員評価を踏まえたメリハリのある給与体系」、すなわち、個人別の教員評価を厳格にやって、優秀な教員には昇進や給与で報いるというものです。企業で行っている目標の自己申告・評価を導入して、意欲や能力の向上を促す。やる気のない教員は反省してもらい、奮起を促す。それでも改善しなければ辞めてもらう。そうやって「頑張った人が頑張った分だけ報われる」評価システムにしていこう、ということです。
しかし海外の事例からも、必ずしも評価システムを変えれば、教員のモチベーションの向上や力量の向上に役立つ訳ではないようだ。
業績主義的な給与体系、つまり成果主義がうまくいかないのは、学校だけじゃなく、営利組織である一般企業だって、そう簡単に運用できていない。特に単なるリストラ策として成果主義を取り入れた会社は、仕事のモチベーションを下げることにしかつながらなかった…とか、ひどい場合には、同僚同士、足の引っ張り合いにまでなったりするということだ。
教員の仕事は協働的で、目標も手段も幅広く、その仕事の質の高さはなかなか目に見えない(数字に表せない)ことが多いようだ。個人ではなく学校のチームワークを評価するようにシフトしてくるのかもしれない。
「開かれた学校」「学校の民主化」に必要なのは保護者や地域との協働だが、キチンと役割分担を明確化しておかないと、消費者主権的な論理に基づいて、保護者が教員評価に関与していくことになる可能性をこの記事は危惧している。クレーマーとかモンスターといわれる現象が起こるのは、こういう文脈なんだろう。
アメリカあたりでは、学習指導に特化している学校が多いそうだが、日本は
福岡教育大学の油布佐和子教授は、教員の仕事は「やればやるほどきりがない」という無限定性を持っている、と言っています。給食指導、進路指導、生活指導、部活指導……、とにかく指導することを挙げていくと本当にキリがない。
そうだ。
ここから、2016年現在にいたる状況がどうなっているか、そのうち調べてみたい。