2013年5月26日日曜日

ドローイングアーティストJUNICHI

ドローイングアーティストJUNICHI氏。公式ホームページ

1989年生まれ。6歳の時に紙とボールペンで絵を描き始め、8歳で初の個展、10歳で初作品集「JUNICHI」を出版、続いてニューヨークやソウルで個展を開き、12歳のとき大阪国際女子マラソンのオープニングイラスト制作に参加…、15歳で大阪国際女子マラソンの公式ポスターを担当(以後8年連続)、長野オリンピックのサポートアーティストに。18歳でルイビトンのイメージアーティスト…というひと。

テーマはLOVE&PEACE、エコにも深い関心」(西宮流)

にあるように、はじめは、いつでもやめられるように名前も年齢も隠していたという。
絵を習ったこともなく、美術部に入っていたわけでもない少年が、「紙とペンさえあれば描いていた」という絵で世界を魅了した。

そんなわけで、5歳の次男坊に紙とボールペンを渡したところ…紙ヒコーキがとんできたw

ニューヨークのスクールライフ

週刊NY生活というサイトがあった。

アメリカ生活に必要な情報を全て独自取材で届ける日本語無料紙として’04年1月に創刊。
    ニューヨーク、ニュージャージー、コネチカット州の日系小売店、飲食店、学校などでの設置を中心に地方都市にも設置先を拡大中。NY地区3州、オハイオ、ワシントンDCでは「日本経済新聞」とともに配達。NJとウェストチェスターでは「朝日新聞」にも折込まれます。
    日本でも紀伊國屋書店東京大手町ビル店で無料配布。有料の郵送定期購読も可能。」


というもの。現地の情報がいきいきと書いてある。

ここで「NYスクールライフ特集2013」というコーナーがあって、学校生活全般の様子が載っていた。
日本の学習指導要領に沿って、意識して日本的なイベントを組み込んでやっている。ニューヨーク日本人学校では「世界を創る児童生徒の育成」というテーマで、日本の伝統文化をみっちりやると同時に近隣の学校との交流や移動教室なども充実。当然、英語教育も1年生から習熟度別にみっちり。
中等部卒業後は、日本の国立付属校や名門私立に入る生徒がほとんどだと書いてある。
そこに入っている時点でデキが違うんだろー。

まー、行こうと思っても無理。ここら辺は、親として面目ないか。
そういう世界もあるんだな~という学習をしたw

さて、世界を創るのは彼らに概ね任せるとして、
子どもらに自分の世界を創る手助けをしていきたい。
運がよければ、なにかで芽が出るかもしれない。
そのためには、とりあえず自分が勉強していかないとなぁ~っと(遠い目)。

2013年5月23日木曜日

黄金をつくる細菌の発見

テレビやマンガで錬金術なーんてたまに出てくる。

いまの自然科学の元になったともいわれている、金をつくりだそうという試み。
まー昔の人も気合が入っていたな~と、半ば冷めた目でみていたところ…

黄金のかたまりを作り出す細菌が実際に発見されたという報告が、Nature Chemical Biologyに掲載された」というブログ「金塊をつくる細菌」(有機化学美術館・分館)をみつけて仰天。

この細菌は、別の物質から金を合成するわけではなく、周囲の金イオンを捕まえて金の微粒子に変えるんだそうだ。
とりあえず、欲しいw
自然金 (Wikipediaより)

こういう、生物が無機鉱物を作り出す作用のことを「バイオミネラリゼーション」というそうだ。

6億年以上前から確認できるんだそうで、真珠(東大大学院生物有機化学研究室より)なんかもこの原理らしい。

この分野は、まだまだ分かっていないことが多く、逆に言えば研究しがいがあるところ。
いつの日か、みるみる黄金ができあがっていく様子をお茶の間でみれる日がくるかもだ。

そういえば、日本にある金の総量は約6,800トン(2008年1月時点)で、全世界の金の現有埋蔵量の約16 %にも及ぶそうだ。(金:Wikipedia)
家電製品や携帯電話なんかに入っているものや、工場で使われるものなど再利用可能なものを「地上資源」というそうだが、それを含めると日本は世界有数の資源大国なのだとか。
ところがどっこい、廃棄物になったりしているものも多いそうで、もったいないを通り越してァチョーという感じだ。

それらしい廃棄物の山に「黄金をつくる細菌」振りまいたら、ポーンと金塊ができるなんてことができる時代がやってくればいいなぁ~。

2013年5月20日月曜日

小学校創立50周年記念の運動会

新潟県の新発田市立二葉小学校は、
平成25年度で創立50周年。

その記念運動会が
5月18日(土)開催された。


晴れてよかった。


早起きして、気合でつくった弁当。
児童は教室で食べたようだ。
キャラ弁に後一歩の煮え切らないムードが、
侘び寂びをを醸し出しているw
どうしても肉類が多くなるのは、
気合の空回りかwww


3年生の長男坊は徒競走80mで1位!(※足の遅い組)
学年全員リレーでは、追い越されたものの追い越し返す「根性」を初披露。
マジ頑張った…青⑦!




仕事で全部見れなかったが、いい運動会だった。
準備してくれた先生方に感謝。

2013年5月17日金曜日

シンガーソングライター

うちの会社「三栄ドライ」は2013年に創業50周年。
記念と言ってはなんだが、完全オリジナルな「うた」をつくってもらった。

その名も「3ADRY 50TH ANNIBERSARY」

SNSでご縁ができた音楽プロデューサーの権谷達哉さん

作曲をアメリカ・フィラデルフィアのNO.1DJ D.j. Aqueousさん
クラブのDJや音楽プロデュースもこなす。気さくで才能豊かな方。

作詞・編曲・うたをオーストラリアのシンガーソングライター Bree-Arne Chamleyさん
http://www.reverbnation.com/breearnechamley
http://www.abc.net.au/local/stories/2013/05/08/3754625.htm?site=ballarat
この方は不慮に事故で車椅子なったものの、音楽活動を精力的に行っている…
その地元人気No.1アーティスト。この秋に結婚・出産予定だそうだ。
お祝いに、新潟県新発田市の泉屋染物屋さん特製「マカロン型コインケース」を贈るw



50周年の記念碑にと、とても素晴らしい曲を提供してくれた。感謝!
海外、とくにこのインディーズのアーティストたちは、イキに感じて注文以上のモノを作ってくれた。
人格者だ!
すべてをしきっていただいた権谷さんの人柄にも感銘を受けた。

全編英語。
(※最後のところ…「クリーニング 三栄ドライ 愛してりゅ~」って聞こえるのは気のせい?)






[3ADRY 50TH ANNIVERSARY]

song:   Bree-Arne Chamley     composer:  DJ Aqueous    produser:Tachuya Gontani


What have you done to me?
Desire is in my reach.

Bum bum bum bum.

With the tail in your eyes.
I can see a story of your life.
You tell me as you look at me.

I can see it on your face.
All your secrets in one place.
I can see them when you look at me.

What have you done to me?
Desire is in my reach.

How can I see you now.
Without the story I've seen.
And all the places you've been.
You've opened up a whole world for me.

Bum bum bum bum.

With the tail in your eyes.
I can see a story of your life.
You tell me as you look at me.

I can see it on your face.
All your secrets in one place.
I can see them when you look at me.
Look at me.

Can you see me.
I see in you.
Can you see me.
I see in you.

What have you done to me?
Desire is in my reach.

How can I see you now.
Without the story I've seen.
And all the places you've been.
You've opened up a whole world for me.

Bum bum bum bum

With the tail in your eyes.
I can see a story of your life.
You tell me as you look at me.

I can see it on your face.
All your secrets in one place.
I can see them when you look at me.


Can you see me.
I see in you.
Can you see me.
I see in you.

Can you see me.
I see in you.
Can you see me.
I see in you.

2013年5月13日月曜日

出前授業

小学校に出前授業って、近所の職人さんとか市の職員さんとか…そんなイメージがあった。
いまどきは、もっと広域で幅広い分野にわたっているんだなぁ~というニュースがあった。


白根大凧の技、デンマークへ 作り手2人小学校で指導


 白根大凧合戦の凧の作り手2人がデンマークに向かい、現地の小学生に伝統の凧作りを教えるそうで、13日間の日程で七つの学校を回るんだとか。

“ 2人は新潟市南区の観光施設「しろね大凧と歴史の館」の元館長(65)と、職員の男性(71)。6月1日に帰国する。元館長がデンマークを訪れるのは初めてで、職員は3回目。
 職員の男性は2008年にコペンハーゲンで開かれた「桜まつり」に参加し、日本でも修業を積んだという陶芸家のグレゴリー・ミラーさんに出会った。翌09年に「地元の小学生に日本伝統の凧作りを教えてほしい」と依頼を受け、今回、声がかかった。”

海外のイベントでの出会い…どこにご縁があるかわからないものだ。

埼玉の小学校で出前授業、鹿児島産の紅甘夏PR JAいずみ

海外とまではいかなくても、鹿児島の農協さんが埼玉の小学校で出前授業…というのも刺激的。

フラガール、広島・福山の小学校で出前授業(読売)

こういう交流が有機的にどんどんできると、子どもたちの世界が広がるし、地域活性化の観点からも思わぬ化学反応が起こる可能性がある。

そう思ってインターネットを検索すると…
出前授業データブック 経済広報センター
東京大学 海洋アライアンス出前授業
京セラグループ 環境出前授業
パナソニック 出前授業
TBS 出前授業
富士通キッズ 環境教育の出前授業
朝日放送 出前授業
大日本印刷 出前授業
日本規格協会 「標準化教室」出前授業
東京工業大学 出前授業
テレビ朝日 出前授業
しょうゆ情報センター 出前授業
NHK 出前授業
ユニバーサルミュージック ダンス出前授業
ユニセフ 出前授業
ヤクルト 出前授業
味の素 味覚教室
カルビー 主張授業
JICA 国際協力出前授業
日産 出張授業
HORIBA 環境出前授業
新潟経済同友会 出前授業
docomo ケータイ安全教室
NTT東日本 ネット安全教室
マクドナルド 食育の時間
日本航空 そらエコ
ケロッグ 食育広場
東京証券取引所 授業支援プログラム
モスバーガー 食育プログラム
日本ハム ウインナーの手作り体験教室
サントリー 「水育」出前授業
文部科学省・厚生労働省 学校と地域
文化庁 子どもの文化芸術体験事業
日本農芸化学会 出前授業
ソニー サイエンスプログラム

訪問型は(特に夏休み)

まーだまだ、たくさんある。
パブリックなものから、企業のもの、特定の地域のもの、保護者がやるもの、海外が絡むものまで。
企業が出前授業をする背景には「超青田買い」なーんていうのもあるそうだ。
教育委員会さんとのつきあいもあるかもしれない。
なんにしても、キャリア教育っていう分野で出前授業が重宝されている。

上手に斡旋してくれるところがあれば、地方の田舎でも身近になるのかも。

そういえば、ソーラーカーで世界一になった東海大学の木村教授が、タイミングが合えば出前授業みたいなものをやってくれるようなことをいっていた。
交通費や宿泊費を考えると、カンタンには頼めないが、あのソーラーカーを小中学生がまじかにみたら感動するし、高度なモノづくりに思いを馳せるんじゃないかと。
あながち「超青田買い」っていうのは、企業だけじゃない…日本の担い手を育むキーワードになっているのかもしれない。

2013年5月12日日曜日

【ドッジボール】第8回しばた さくらカップ

第8回しばたさくらカップ(新発田市カルチャーセンター)
平成25年5月12日(日)

優勝 木崎ファイヤーズ
2位 ビクトリーやまと
3位 Aoiトップガン
4位 しただレインボー HP



新潟県ドッジボール協会
新潟ドッジボールリーグ
新潟ドッジボールリーグFacebookページ
ドルフィンズ二葉公式ブログ
ドルフィンズ二葉 非公式応援Facebookページ

あさ7時15分集合
会場設営のお手伝い

駐車場係…
今回は新発田駐屯地記念行事と
サッカーと柔道とかぶったので
駐車場はいっぱい


練習




新発田市カルチャーセンター前のモニュメント
なんだか不明


ドルフィンズ二葉は予選順調

今回から低学年の部も!
ドルフィンズこえだはもうちょい


ドルフィンローズ(おかあさん方)がんばった



ドルフィンズこえだのバナー(横断幕)を格安プリントで制作したが、
サイズが小さくて目立たね~。
こえだだから、ないよりマシか…


惜敗

次男坊、この時点で熱があったようで、帰ってから計ったら9度3分(汗
後日、医者に行ったら「溶連菌感染症」ドン

2013年5月11日土曜日

金魚台輪

新潟県新発田市に伝わる「金魚台輪」。

Wikipediaによると…
新発田藩藩主溝口氏お抱えの笛師を祖先に持つ竹細工師、矢代周平が1887年頃に考え出した玩具と伝えられている。上部に金魚の形をしたぼんぼりが乗った小さな曳き車であり、お盆近くになると子供達がぼんぼりの中にロウソクを灯し、夕暮れ時に曳き回して遊んでいた。”

いまでは、新発田まつりのときに町内会ごとに近所を練り歩いて、終わったらお菓子をあげるっていう寸法だ。

その他、紹介記事(新潟職業能力開発短期大学)


日本全国郷土玩具ミュージアムによると

“灯玩具は、青森の「ねぶた」や秋田のキリ切り子灯篭など東北各地で見られる、睡魔を払う眠り流しと、盆の精霊迎えの習俗が混同して生まれたものとされています。”

で、Wikipediaの出典である「にいがたの郷土玩具」(川口栄三著)という本を探しに新発田市立図書館にいってみた。
時間がなかったので、その本は探せなかったが、「昔のしばたの暮らし」(ふるさと伝承記録刊行会:昭和62年)に同様の記載があり、胴の中で囃子方がいて「しちょうめ囃子」「魚がし」という歌を歌いながら大きな金魚台輪を曳いていたそうだ。
また、子どもたちは夏の夜にカラカラとロウソクの火を灯したミニチュア金魚台輪を曳くのが楽しかったのだそうだ。

時代を超えた明治のヒットメーカー竹細工師の矢代さん、グッジョブ(*^ー゚)b

この金魚台輪を作る最後の職人さんが亡くなり、作り手がいなくなった新発田。
ハードなタイプの置物専用で「NPO法人作業所あゆみ」というところだけが手がけている。
後継者がいないということは、よっぽど需要がなかったのか、売り方が悪かったのか…。

このままだと過去の遺物になる。いや、プレミアがつくかw

でで、新発田市観光協会では、この「金魚台輪」にあやかろうとマスコットキャラクター「しばたん」をつくった。ま、現物を承継することも大事。その第1歩でしょうか。



最近では、冬季限定の金魚台輪焼なんてのもある!
うちわにも。このデザインが子どもっぽくなくてお洒落と評判。
新発田市の職員さんの名刺にもこれが入っている。
これが曳き車になったら、大ブレークすると思うw


金魚台輪を観光資源にしようと思ったら、広域連携もおもしろそうだ。

全国に同様の明かりを入れた郷土玩具があって、新潟県村上「鯛ぼんぼり」、新潟県三条・巻「鯛車」、新潟県三条「鯉灯篭」、山口県柳井「金魚灯篭」、島根県出雲「蒸気船」、熊本県山鹿「紙灯篭」、青森県八戸「イカ灯篭」、青森県弘前「扇灯篭」などなど(灯玩特集)。
子どものってわけじゃないが、青森県弘前「金魚ねぶた」なんてのもある。
全国○○サミットとかが流行りなので、音頭をとってやるのも手。
何年か前に、「横浜人形の家」でそんなイベントがあったようだが。

巻のまき鯛車商店街は、小型の鯛車を六本木ヒルズで1周レンタルイベント「鯛車練り歩きワークショップ」をおこなって話題になった。製作教室も定期的にやってくれるそうで、いってみたい!
鯛車復活劇はこちら「鯛車復活プロジェクトブログ」「HP



新発田の金魚台輪もこのタイプを復活させて、タイやシンガポールなど海外にもっていったら、クールジャパンかも。
意外と県外にいる新発田出身の方々が欲しがっている現実もあり、マーケットが確立されれば職人さんも育ってくるだろう。


ま、子どもの夜の楽しみってカテゴリーは、今になったら逆に新鮮かもしれない。
なにせ、テレビやゲームしてて「早く寝なさーい」と怒られるのが定石のようだしw

で、灯篭つながりでタイのロイクラトン祭りのコムロイ(ロウソク気球)
日本じゃこれは消防署が黙っていまいw




2013年5月10日金曜日

「黄金の犬」ラストシーン(ゴルゴ13より)

『ゴルゴ13』第130巻「黄金の犬」のラストシーンから…

「子供が産まれたら子犬を飼うがいい、子犬は子供より早く成長して、子供を守ってくれるだろう。そして子供が成長すると良き友となる。青年となり多感な年頃に犬は年老いて、死ぬだろう。犬は青年に教えるのである、死の悲しみを」

うちには15歳になる雑種がいる。
子どもたちも、
この老犬を家族のように思っている。
余命どれほどかと考えると、
胸が詰まる。

2013年5月8日水曜日

きょうの本①

ご縁があって、著者のおひとりから紹介された英語本「よい人間関係を築くためのカンタン英会話レシピ45」
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4777364887?ie=UTF8&at=&force-full-site=1&lc=plm&ref_=aw_bottom_links

英会話というと、慣用句を覚えたり、シチュエーションごとに覚えたりだが、初対面だったり親密でない関係のときには、やはりタブーもあり、通り一遍の言い回しはマズイ場合があるそうだ。
様々な英語のプロが、とてもわかりやすく解説されている。
中学生あたりからオススメ。

海外のPTA活動

小学校のPTAの監事をさせていただくことになった。
出番は会計監査のときだけだそうで、申し訳ない。

で、どんなことをしているのか他の様子をながめているうちに、
日本と海外の違い(NHK世界まるごと質問箱)が面白かったのでチェック。

アメリカのPTA活動(アメリが留学と帰国後日記)
こちらのブログで紹介されている日本との違いが、

  • 父親の参加率が高い
  • ミーティングは平日であるものの、イベントは平日の夜とか土曜日
  • 昼間のミーティングに出られなくても、お金やモノなどで堂々と貢献できる

たとえば、夜や週末に行われるイベント…

  • ブックフェア―(本を買うと、収益の一部がPTAへ)
  • サイエンスフェア―(理科の自由研究発表)
  • インターナショナルナイト(国際交流)
  • タレントショー(特技などを披露する)
  • 本の読み聞かせを聞きに行く
  • アイスクリームフェア(アイスクリームを買うと、収益がPTAへ)

などに参加して、お金を使えばその収益はPTAに…という具合。

日本の場合、平日の夜は塾や習い事が詰まっていているようだし、
週末くらいは家族でゆっくりって感じで、PTAのイベントは極力やりたくないって感じもあるか。
そう考えると、新発田市立二葉小学校の「おやじの会」はアメリカチックかもしれない。

PTA活動は寄付金集め!日本とは違うアメリカの学校事情(CREA WEB)
アメリカは寄付金文化で、州の教育予算が少ないために保護者からあの手この手で寄付金を募るのだそう。集まった寄付金によって、ダンスの授業があったり、演劇の授業があったりと、学校ごとにカリキュラムまで変わるので、教育熱心なエリアほど、寄付金も集まりやすくなるんだとか。
子どもたちの遊具となる巨大なブロック「イマジネーションプレイグランド」なんてのも。

シアトル日本語補習学校PTAというシアトルの日本人コミュニティのPTAの活動もおもしろい。
古本市をやって学校にデジタル教科書を寄付してるんだそうだ。

フランス版PTA(私からの贈りもの)
こちらのブログ、フランスのPTAでは立候補が主流で、自己主張がスゴイそうだ。
派閥もできるってことで、ギョエ。
立候補するのは欧米系が多くて、アジア系が少ないって分かる気がするw

フランスのPTA(ima)
フランスではPTAの役員をすることが「誇り」なんだそうだ。
だから、自薦が多いんだろー。

会長ともなると、凄まじいリーダーシップと高い能力があるのだそうだ。

ニュージーランドの場合(リヴァイアさん、日々のわざ)
クライストチャーチのあたりでは、教師と保護者の相互学習という意味合いが強いそうだ。
この方によると、アメリカなどの寄付金集めのPTAは単なる保護者組織だと。

PTA(Wikipedia)
日本でも一風変わった試みをしている学校があるようだ。
世田谷区のように、PTAを家庭教育への支援と位置づけ教育委員会が委託金を各PTAへ渡して最低でも年4回の研修会を開催させたり、区のPTA連合体で研修を設ける自治体もある。
なお、杉並区立和田中学校藤原和博、代田昭久)のように、公立学校でもPTA自体を廃止し、地域のボランティアの住民でつくる「地域本部」に統合しようとする動きもある。
その一方で、PTAを本来のボランティア・生涯学習団体(社会教育関係団体)として捉え直し、サークル活動や、固定した定員を設けず参加希望者だけで活動する委員会(委員会とは呼ばず、広報ボランティア、家庭教育ボランティアなどと称する)での活動を、中心に据えるようになった単位PTAも存在する。

なるほどね。
うちの「おやじの会」が当時の校長先生の提案でできたように、偉い人や先生方の理解があって、ノリのいい保護者が大勢いれば、形はどうあれ有意義なものになるんだろう。

2013年5月5日日曜日

国際バカロレア資格

フジテレビの報道番組「新報道2001」のネタでマレーシアイスカンダル計画っていうのがあった。


2020年にイスラム圏初の先進国入りを目指すマレーシアは、クアラルンプールに次ぐ第2の都市であるジョホールバルで、シンガポールとの一体化を目指した大規模都市開発「イスカンダル計画」が進行させている。まるでバブル前夜の様相を呈しているそうだ。
マレーシア自体、日本の企業も注目していてヤマト運輸ワタミの例が紹介されていた。

そのジョホールバルは教育特区に指定され、イギリスの名門ボーディングスクールマルボロカレッジ」も誘致して、教育のハブも作られている。
ここを修了すると、国際バカロレア資格という海外の大学の受験資格を取得できるそうだ。

魅力ある学校をつくれば、人が集まり、次第に「街」ができるっていうことらしい。

日本からも、夫を日本に残して小学校前から母子留学している様子が紹介されていた。
教育のために移住する人も。
費用はマルボロカレッジで年間190万円程度、プラス生活費。
うまくいけば子どもを育てながら、住んでいる土地やコンドミニアムなどがどんどん値上がりしていくビジョンだろうか。
お金と情報がある人は、どんどん日本を出て行くんだなぁ~としみじみ。
これを格差っていうんだろうか…。


ま、日本でも今後200校を目標に対応する学校をつくるそうだけど。
そういえば「国際バカロレア資格:都立国際高が認定取得へ 公立で全国初」(毎日jpというニュースもあったな。


日本の小さな地方都市でもいち早く小学校から国際バカロレアのプログラムを取り入れれば、子育て世代が殺到するかもしれない。
現場の方々やお役所は「めんどくさいこと」「わからないこと」「リスクがあること」は敬遠されるから動かないんだろうし、上を見ればキリがないし、ともすると井の中の蛙のほうが実は得ってこともあるかもしれない。
でも、流れは国際教育(文部科学省)。
スピード感をもって取り組めたところが有利なんだろうなぁ。

ちなみに諸外国の学校情報(外務省)をみると、いろんな誘い文句がならんでるが、国際バカロレア資格がウリになっているところが結構ある。

なんにせよ、がんばって少しでも貯金しとかないと…。

2013年5月4日土曜日

キューバ移民「最後の男」

島津三一郎さん(107)という方が19歳で新潟県新発田市からキューバに渡り、
今ではお住まいのフベントゥ島一番のご長寿になられているというニュースが流れた。

医療大国キューバの恩恵を受ける105歳の日系人を取材しました。」(FNN)
“カリブ海に浮かぶ島国・キューバは、医師の数が日本の3倍近くいる世界有数の医療大国です。
ここに、最後の日系1世である105歳の男性が元気に暮らしています。
キューバの首都ハバナから南へ300km、フベントゥ島。
1898年、日本人農業移民が入植。
現在、およそ1,100人の日系人が暮らす。
その多くが、この島で農業に従事した。
島津 三一郎さん(105)は、日系移民1世最後の1人。
日系農業移民最後の1人、島津 三一郎さんは「わしゃあ、生まれは、新潟県新発田」と話した。
19歳で新潟県からキューバへ渡り、91歳になるまで、スイカやトウモロコシを育ててきた。
今では、島一番の長寿となった島津さん。
85年間、一度も帰国したことのない祖国。
忘れたことはない。
島津さんは「県立新発田中学校(旧制)、そこの校歌。蒲城の東五十公野の大空高く聳ゆるはこれぞ吾々学生が教を受くる校舎なる」と校歌を口にした。


家族がいない島津さんは、老人ホームで暮らす。
そんな島津さんの日常から見えてくるのは、医療大国キューバの素顔。
社会主義国のキューバでは、教育と医療費は無料となっている。
医療で利益を得ることは目的としていない。
キューバ革命後、カストロとチェ・ゲバラが真っ先に取り組んだのが、教育と医療だった。
島津さんの診察が始まった。
診察しているのは「ファミリードクター」と呼ばれる診療所の医師。
キューバの医師の数は、10万人あたり681人で、日本の3倍となる。
地域医療の軸になるのは、ファミリードクター制度。
カルテは、ファミリードクターが一元的に管理し、大きな病院に転院しても、同じカルテが使われる。
全国1万3,300カ所の地域診療所に勤務するファミリードクター。
全患者の80%に対応し、地域住民の健康に責任を持っている。
病状が重い場合は、地域病院が治療を行い、高度医療は総合病院で行われる。
最高度医療は、研究所が対応する。
レベルに応じた医療機関の役割が、明確に定められている。
キューバ医療の中核をなすファミリードクターが心がけていることがある。
ファミリードクターのエレナ・ゴンザレス医師は「医療は予防に重点を置いています。患者が重症化しないよう、常に予防するという心がけが、結果的に国の医療費の削減にもつながります」と話した。
島津さんが暮らす地域の老人ホームに、食事の時間がやってきた。
3度の食事と3度のおやつ付き。
島津さんの食欲は旺盛。
たばこも、1日20本支給されている。
24時間、医療スタッフが看護をし、2日に1度は専門医の診察も受ける。
病気の際は、施設内の個室で治療を受け、病状が重ければ、近所の総合病院で治療を受ける。
島津さんは「ここは一生50年、100年、1銭もいらないところ。世界にない、んなもんない。そらな、感謝、ハイ」と話した。
施設の1カ月の費用は40ペソ、およそ200円。
これは、老人年金の6分の1。


島津さんは「日本と違います。養老院」と話した。
島津さんは2013年、体調を崩した。
しかし、早期に病院で治療し、2週間の入院を経て、住み慣れた老人ホームに戻ることができた。
マグダリス・ソリア副施設長は「この老人ホームは、さまざまな背景を持った家族のいない身寄りのない老人が集まっています。ベッドや部屋も、亡くなるまで確保されています」と話した。
島津さんのベッドは、生涯保証されている。
105歳の島津さんには居場所がある。


今の目標は、きわめて明快。
島津さんは「アイ・ケ・ビビル(生きなければならない)」と話した。
社会主義国のキューバでは、医療行為でもうかるシステムになっていない。
患者が減ることが、全ての人にとって幸せなのだという。
105歳の島津さんも、そんなキューバ医療の恩恵を受ける1人。
島津さんは「日本にお帰りで? さようなら。三一郎・島津は、130歳まで生きております」と話した。
曲がり角に立つ日本の医療。
その行く末を考えるうえで、大きなヒントがある。

キューバは資源が少ないため、中南米のベネズエラ、ボリビアといった国々に医師を派遣するなど、医療を外交にも利用しています。
また、医療水準を高めるため、医学部の学費は無料。
そしてこのルールが留学生にも適用されるため、社会主義の国々から優秀な学生が集まるということです。”


母校の新潟県立新発田高校の大先輩だということが分かり、尊敬。

調べてみると五十公野出身の方で、放送では105歳となっていたが、たぶん107歳。
たいへんなご苦労をしてこられたようだ。



LIVE2013 ニュースJAPAN&すぽると! 2013.05.03

幸せの指標~世界が注目するキューバ医療~」(京都文化社)

移民史講座というサイトの「最後の男」から引用(1998.09)

“ キューバへの最初の日本人移民が誰だったかは明らかでない。だが、現在のところそれにもっとも近いところにいるのがアルゼンチンから入った宮下幸太郎(石川県出身)である。おそらく一九〇〇年のことだろう。
 ところが、それより二年遡るという話が湧いてきた。ハバナ上陸の際の入国者名簿に七人の日本人らしき姓名の記述があることをキューバの日本研究家二人が見つけた。六年前のことである。そのトップが「Osuna Y.」と記された人物で、キューバ政府が主唱している今年の「キューバ日本人移民百周年」はこれを根拠にしている。
 だが、その出港地がメキシコのベラクルスであったこと、船名がオリサバ号であったこと、ハバナ入港が一八九八年九月九日であったこと、それ以外、出身地、性別はもとより、Osunaが姓なのか名なのか、それすらわからない。
 想像の域を出ないが、彼らは、いわゆる旅芸人の一行ではなかったか。当時、アメリカ東海岸から、商用、遊学、保養といった一過者のほかに、こうした芸人たちのキューバ寄航の蹟がいくつも見られるからである。たとえば、一八九一年キューバに入った南方熊楠もハバナで日本人曲芸師と遭遇し、一座に同行、ハイチ、ジャマイカと巡遊している。そう考えれば、それこそ悪い冗談だが、南方熊楠がキューバ移民第一号だったといってもいいことになる。キューバに日本人が、いわゆる移民として入っていくのは、今世紀初頭、それも一九一〇年前後のことなのである。
 それ以前、メキシコには、榎本武揚が主導した榎本移民を別とすれば、一九〇三年から八年にかけて、大陸殖民、東洋移民、熊本移民の三移民会社によって約八千人の日本人移民が送られていた。だが、ここでもペルー同様、移民会社の謳い文句と現実は大きく異なっていた。混乱の中で帰郷した者、アメリカに流れた者とさまざまだが、残った者も、その後のメキシコ革命の動乱の中でメキシコを見限っていく。そのうちキューバに渡ったのは、一九二〇年までに五十九人、うち新潟県出身者は八人。その彼らによってキューバへの日本人移民の歴史がはじまる。キューバへの日本人移動の起因はメキシコ革命にあったといってもいいだろう。
 彼らが魅せられたのは、当時のキューバが砂糖景気に沸き、ペソがドルと等価で流通していたからだった。だが、バカ・ゴルダ(太った雌牛)と呼ばれた好況も一九二〇年代前半を限りに長い不況に入り、それによって錦衣帰郷の夢も消え、さらに、日米開戦による収容と、それに追い打ちをかけたカストロ革命による資産接収によってすべてが終わる。
 千百四十三人。キューバへの、これまで明らかになった日本人移民総数である。ハワイ、アメリカ、カナダはいうまでもない、ブラジル、ペルーなどラテンアメリカ諸国へのそれと比べてもごくわずかだが、少数ゆえに、その詳細がかなりの割合で明らかになった珍しい例でもある。うち、新潟県出身者は百三十五人、沖縄(百九十六)、広島(百四十九)、熊本(百四十五)に次いで第四位を占める。その最初が新発田出身の小川富一郎だった。
 一九〇六年、メキシコ南部コリマ州の砂糖耕地に移民、契約を終えたあと日本人移民四十人前後を組織して農場経営をはじめた。だが、革命の動乱が激しくなったため、それを避けてキューバに移転、中部サンタ・クララ州(当時)の製糖工場セントラル・コンスタンシアに入り、その郊外のカルメリナに二十五カバジェリアス(約百万坪、甲子園球場グランド二百二十八個分)にのぼる広大な土地を得て農場経営を再開した。そして、郷里新発田とその周辺から七十五人を呼び寄せる。だが、不運にもわずか二年で病のために中断、彼自身は療養で日本に戻り死亡する。三十歳だった。
 そのあとを受けたのが同じ新発田出身の榎本惺で、カルメリナ北方約五キロのオルキタスに農地を得て、同様に、郷里から十七人を呼び寄せた。しかし、彼の試みも砂糖価格の下落によるキューバ経済の悪化の中で失敗に終わる。
 その後の彼らはどうしたか。帰郷した者も少なくなかったが、多くは残留。キューバ各地に四散しながらも郷里から親類、縁者を呼び寄せ、その後の日本人社会の一つの核となる。一時は、新潟県出身者がもっとも多数を占めた時期もあった。一九二〇年代後半のことである。
 そして七十余年、今年はじめには三人が元気でいた。それが、三月に窪田ヨシミ(九十一歳=新発田市諏訪町)、五月に井上三代(九十二歳=新発田市板山)と相次いで死亡、島津三一郎(九十一歳=新発田市五十公野)ただ一人となってしまった。彼は一九二八年、伯父島津岩吉の呼び寄せで、中部カマグェイ州(現、シエゴ・デ・アビラ州)モロンに入ったあと独立し、イスラ・デ・ピノス(現、イスラ・デ・ラ・フベントゥ)でずっと農業を続けてきた。
 島津に会ったのはもう十六年も前のことである。多くを語らない、その寡黙さが逆に何か人を惹き付ける、いかにも越後人らしい男だった。移民以来、ずっと独身を通している。その彼が、別れ際にこういった。「最近の新潟はどうですか」
 それを、一度帰ってみたい、と受け取った私は、出過ぎたこととは思いながら、郷里の新発田を尋ね歩いてみた。だが、身元引受人が見つからず一時帰国は叶わなかった。以来、心残りで、どうしているのか、気になっていた。
 ところがうれしいことに、今年六月、彼の様子を伝えるレポートが某誌に掲載された。ヌエバ・ヘロナ(イスラ・デ・ピノス)の養老院にいるらしい。一番の楽しみは日本の新聞を読むことで、漢字がびっしりと書き込まれた藁半紙の束を大事そうに見せたという。写真も掲載されていて、見ると、赤茶けて、縁がボロボロになっている。厚さ約三センチ、漢和辞典を書き写したものらしい。ところが、その記事を読んだ読者から、漢和辞典を送ってやりたいと投書が殺到したという。なんということか。
 たしかに、フロリダを中心としたアメリカの亡命家族からの送金がなければ生活できなくなっているのがキューバ人の現実で、日本人一世たちも物不足に喘いでいる。訪問した日本の縁者がそっと置いていったドルをめぐって二世兄弟家族に啀み合いが起きたという話も聞いた。しかし、彼は漢和辞書がほしいわけではない。おそらく移民直後の若いときから綴りはじめたのだろう。一字一句に郷里への想いを重ね合わせながら書き写したにちがいない。夜、一人、ランプの下で黙々と続けたのだろうそれは、彼にとって、昼の農作業の疲れを癒やす日課ともなっていたのではなかったか。長かったキューバでの奮闘、その思い出とともに、ほとんど情念とも化した限りない郷愁の念が刻み込まれている、そう思いたい。世界中どこを探してもない、移民島津三一郎の至宝であり、彼をずっと見守ってきた無二の朋でもある。
 日本人移民はキューバに何を遺したか。よく言われるのが、島津もその一人だが、農を通じてイスラの荒野を沃野に変えたことである。これに疑いはない。だが、あとがない。メキシコ、ペルー、ブラジル同様、百年近い歴史を持ちながら、二世、三世に政治的経済的基盤をまったく遺せなかった。いや、そんなものとは程遠い、自らの一時帰国さえ叶わなかった、そんな革命後を彼らは生きてきたのである。月並みだが、もし日本人移民の美徳がその勤勉さにあったとするなら、それさえも十分に発揮できることなく終わったのがキューバの日本人移民だった。何がそうさせたのか、それは繰り返すまい。
 キューバ日本人移民百周年。そう謳い、両国でさまざまなイベント、フェスティバルが続いている。その一方で、この半年間に七人もの一世が死んでいった。これまではいくら多くても年に三、四人だったことを考えれば皮肉な話である。現在、キューバの日本人移民一世は十七人(二人は二世扱いだが日本生まれ)、うち十一人が九十歳を超えている。(1998.09)”




大先輩の生き様を忘れないよう残しておきたい…市民栄誉賞⁈

2013年5月2日木曜日

行き詰まる欧州の教育制度って

欧州というと、教育制度は先進的なイメージがあった。
義理の妹が嫁いだ北欧のスウェーデンは、いま大変なことになっているようだ。

スウェーデンの場合、それまで国有化されていた学校を地方や民間に移行し、その公立学校を運営する地方自治体や私立学校に大きな裁量権を与えた「教育の地方分権化」と、生徒が自由に学校を選択できる「フリースクール改革」で、学校の運営能力=財政力の高いところと低いところで格差が生まれ、トータルで学力の低下が顕著になったということらしい。


崩壊するスウェーデンの学校制度(上)
崩壊するスウェーデンの学校制度(下)
(ジャパンビジネスプレス)
 『前者の地方分権化が、この数週間大きく批判されている。教職員や議員、作家などが連名で「国はスウェーデンの学校の責任を取らなければならない」とし、「教育の地方分権化に反対し再国有化を求める請願書」を提出した。
 この主張を要約すると、以下のようになる。「スウェーデンの学校は、欧州で最も短期間で地方分権化したが、今日、これは失敗であったことが明確になっている。改革の結果、スウェーデンの生徒の学力は過去10年間で着実に低下し、その一方、学校間の格差が広がっている」 さらに同請願書は、学校間の格差が拡大している理由は地域における各自治体の運営能力の差によるものだとしている。特に財政上の格差により教育の質に差が生じ、不平等をもたらしているとし、「全国に同等の学校を保証するのは国家の責任だ」と訴えている。 教職員が国の管理を望む背景には、学校の運営が安定し、より高く安定した給与が保障されるだろうという腹づもりもあるはずだ。』
『教育が危機に瀕しているのは、スウェーデンだけではない。デンマークでは自治体の雇用者連合と教員組合間の契約交渉が決裂した後、4月2日から教師7万人が職場から締め出されるロックアウト状態が続いている。すでにほぼ4週間にわたって、教師は無給、約90万人の子供たちが教育を受けられない状態のままだ。23日の報道では、200万回の授業がキャンセルされたという。
 交渉決裂の内実は、最大週25授業時間という現行の規定を取り払い、個々の学校長が授業時間と授業の準備時間、および総労働時間を任意に決定できるようにしようとする自治体側と、それを拒否する教師側の攻防だ
 さらに具体的に書くと、自治体側は給与は引き上げないまま授業時間およびその他の業務を増加させ、労働時間をフレキシブルに延長しようとしており、この要求を教員らにのませるために何週間にもわたって職場から締め出しているということだ。

 11日にはコペンハーゲンの議会の前に5万人の教職員と市民が集まり、継続するロックアウト状態に抗議の意を表明している。』

ちなみに、同様のシステムをイギリスが今年から導入することを決めているという。
さて、どうなるか。
日本も続くんだろうか…

これに、移民の問題が絡んで混乱しているようだ。移民大国スウェーデンの「移民狩り」

それでもスウェーデンは世界で最も格差が少ない国なんだそうだ。むこうにいる甥っ子が学齢になったとき、どんな教育環境になっているのか、どんな社会になっているのか…ちょっと心配だ。
日本にも課題はたくさんあって、道州制だ地方分権だと議論しているが、臨機応変に他人のフリ見て我がフリなおすってのもアリではないか。
日本の教育政策(文部科学広報参照)を現場の先生方はどう捉えているのか…
そのへんのところを有識者や偉い人に教えてもらいたい。
たぶん、知らないうちに決まっていくんだろうけど。

2013年5月1日水曜日

ママカーストって…

週刊誌でチラっとみて気になったキーワードが「ママカースト」。
で、ネットを見たら…

”ママカースト”という歪んだママ友関係(NAVERまとめ)

地方に住んでいると、それほどでもないような感もあるが…
ネットのネタなんで、だいぶ誇張が入ってる気配もある。

いずれにせよ古今東西、ママに限らず
他人と比べて安心したいってこと、あるんだろうなー。
ま、人間社会の縮図ってところだろうか。
ジャイアンがいてスネ夫がいて、しずかちゃんがいて
のび太がいてって、そりゃドラえもんかw

もしかしたら、日本はまだいいほうなのかもしれない。

子どものイジメ問題ってのも、もしかすると大人のマネしてるだけなのかも。

哲学であれ宗教であれ、そういったことへの戒めが盛り込まれている。

最近読んだ「実語教」もそう。
平安時代終わり頃から子どもたちの素読教材となり、寺子屋の教科書だった本。
孔子の思想が多く盛り込まれ、日本人千年の教科書といわれている。


山高故不貴 以有樹為貴 山高きが故に貴からず。木有るを以て貴しとす。
人肥故不貴 以有智為貴 人肥えたるが故に貴からず。智有るを以て貴しとす。
富是一生財 身滅即共滅 富は是一生の財。身滅すれば即ち共に滅す。
智是万代財 命終即随行 智は是万代の財。命終われば即ち随って行く。
玉不磨無光 無光為石瓦 玉磨かざれば光無し。光無きを石瓦とす。
人不学無智 無智為愚人 人学ばざれば智無し。智無きを愚人とす。
倉内財有朽 身内財無朽 倉の内の財は朽つること有り。身の内の財は朽ちること無し。
雖積千両金 不如一日学 千両の金を積むと雖も。一日の学に如かず。
兄弟常不合 慈悲為兄弟 兄弟常に会わず。慈悲を兄弟とす。
財物永不存 才智為財物 財物永く存せず。才智を財物とす。
四大日々衰 心神夜々暗 四大日々衰え、心神夜々に暗し。
幼時不勤学 老後雖恨悔 幼きときに勤め学ばざれば、老いて後恨み悔ゆと雖も、
尚無有取益 故讀書勿倦 なお取益有るを無し。かかるが故に書を読んで倦むをなかれ。
学文勿怠時 除眠通夜涌 学文怠る時なかれ。眠りを除きて通夜に涌せよ。
忍飢終日習 雖會師不学 飢えを忍びて終日習え。師に會すと雖も学せざれば
徒如向市人 雖習讀不復 徒に市人に向かうが如し。習い読むと雖も復せざれば
只如計隣財 君子愛智者 只隣の財を数えるが如し。君子は智者を愛す。
小人愛福人 雖入富貴家 小人は福人を愛す。富貴の家に入ると雖も、
為無財人者 猶如霜下花 財無き人の為は、なお霜の下の花の如し。
雖出貧賤門 為有智人者 貧賤の門を出ずると雖も、智有る人の為には、
宛如泥中蓮 父母如天地 あたかも泥中の蓮の如し。父母は天地の如し。 
師君如日月 親族譬如葦 師君は日月の如し。親族譬ば葦の如し。
夫妻猶如瓦 父母孝朝夕 夫妻は猶瓦の如く。父母には朝夕に孝せよ。
師君仕昼夜 交友勿諍事 師君には昼夜に仕えよ。友に交わって諍う事なかれ。
己兄尽禮敬 己弟致愛戯 己より兄には礼敬を尽くせ。己より弟には愛戯を致せ。
人而無智者 不異称木石 人として智無きは、木石に異ならず。
人而無孝者 不異称畜生 人として孝無きは、畜生に異ならず。
不交三学友 何遊七学林 三学の友に交わらずんば、何ぞ七学の林に遊ばん。
不乗四等船 誰渡八苦海 四等の船に乗らずんば、誰か八苦の海を渡さん。
八正道雖廣 十悪人不往 八正の道は廣しと雖も、十悪の人は往かず。
無為都雖楽 報逸輩不遊 無為の都に楽しむと雖も、報逸の輩は遊ばず。 
敬老如父母 愛幼如子弟 老いたるを敬うは父母の如し、幼きを愛するは子弟の如し。
我敬他人者 他人亦敬我 我他人を敬へば、他人亦我を敬う。
己敬人親者 人亦敬己親 己人の親を敬えば、人亦己が親を敬う。
欲達己身者 先令達他人 己が身をば達っせんと欲せば、先ず他人の身を達っせしめよ。
見他人之愁 即自共可患 他人の愁いを見ては、即ち自ら共に患うべし。
聞他人之嘉 即自共可悦 他人のよろこびを聞いては、即ち自ら共に悦ぶべし。
見善者速行 見悪者忽避 善を見ては速やかに行け、悪を見ては忽ち避れ。
好悪者招禍 譬如響応音 悪を好む者は禍を招く。譬ば響きの音に応ずるが如し。
修善者蒙福 宛如随身影 善を修する者は福を蒙る。あたかも身に影の随うが如し。
雖富勿忘貧 或始富終貧 富むと雖も貧しきを忘るることなかれ。或いは始めに富み終わりに貧しいとも。
雖貴勿忘賎 或先貴後賎 貴しと雖も賎しきを忘るることなかれ。或いは先に貴く終わりに賎しくとも。
夫難習易忘 音聲之浮才 それ習い難く忘れ易しは、音声の浮才。
又易学難忘 書筆之博藝 また学び易く忘れ難しは、書筆の博藝。
但有食有法 又有身有命 但し食有れば法有り、また身あれば命有り。
猶不忘農業 必莫廢学文 なお農業を忘れざれば、必ず学文廃することなかれ。
故末代学者 先可按此書 故に末代の学者、先ず此の書を按ずべし。
是学文之始 身終勿忘失 是学文の始まり、身終つるまで忘失することなかれ。


これ、ちょっと噛み締めてみたいものだ。
孔子の時代も、いまとあんまり変わらない現象が起きていたのかもしれない。
人間の性なのか、どうなのか。