首相官邸ホームページより「五七の桐」 |
こんなマークを見かける。
これはなんだろうと調べてみた。
首相官邸のホームページによると
“ 桐花紋は政府において広く使われてきていますが、桐花紋がいつ頃から使われ始めたのか、また、その由来については定かではありませんが、従前から慣例により使われており、定着してきているものです。
なお、紋章について一般にいわれていることなどを記しますと、
桐花紋は、植物のゴマノハグサ科に属する白桐を紋様化したものといわれています。
桐は、聖天子の出現を待ってこの世に現れる鳳凰という瑞鳥(めでたい鳥)の宿る木だといわれており、天皇のお召しものにも桐や鳳凰などの紋様が使われるようになったといわれています(はっきりとはしていませんが、一説によれば嵯峨天皇(786~842年)の頃から使われているようです。)。
明治政府は、明治5年に大礼服(重大な公の儀式に着用した礼服)を定め(太政官布告「大礼服制」)、例えば勅任官(天皇が任命した官吏)は、その上着に「五七の桐」を用いることとされました。明治8年には、勲章の旭日章が制定され、デザインの一部に桐花紋が使われました。
総理大臣官邸では、以前から外国の賓客の接遇のための晩餐会等の招待状や食器、閣議室の大臣席の硯箱や大臣の表彰状などに「五七の桐」を使用しています。
平成15年10月から首相の記者会見の際にも「五七の桐」を付した演台を使うようになりました。
(参考)
「五七の桐」は桐花紋の代表的なもので、3枚の桐の葉の上に中央に7つの桐花を、その左右にそれぞれ5つの桐花を配した図柄となっています。
首相官邸「お答えします」”
だそうだ。
ただ、一説によると聖天子の出現を待ってこの世に現れる鳳凰という瑞鳥(めでたい鳥)の宿る木については、中国の言い伝えにでてくるのは梧桐(アオギリ)なのに、日本で文様として使用された頃には、いつのまにか、白桐になってしまっていたという話もある。(一本気新聞)
そういえば、子どもらが通う新発田市立二葉小学校も「センダンは双葉より芳し」ということわざから校名がついたということだが、このセンダンはインド原産の白檀のことであって、日本にあるセンダンは違う種類のもの…という昔の人の勘違い系の話とダブる。
逆に言えば、昔から海外からの情報は多少不確かなものでも有意義ならば積極的に取り入れてきたってことか。
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