2014年2月26日水曜日

いじめ

小学校で学校内での「いじめ」実態調査があった。
記名で用紙に学校の「いじめ」について記入し、担任に提出するというもの。
本当に「いじめ」にあっていると出しにくいだろうなーという感じだった。
試行錯誤のようで、「ポストのようなものに無記名で…」などのいろいろな意見が保護者の一部から出たようだ。今後の改善に期待。

それにしても、子どもが小学3年生にもなると「いじめ」というキーワードが気になる。

自分の小学生時代にもあった記憶がある。
おそらく、古今東西あるのだろう。
地方でもクローズアップされ出したのが「金八先生」あたりからではなかったか。


子ども社会の「いじめ」の定義というのが

「当該児童生徒が、一定の人間関係のある者から、心理的、物理的な攻撃を受けたことにより、精神的な苦痛を感じているもの」と定義される。「起こった場所は学校の内外を問わない」。「本調査において個々の行為が『いじめ』に当たるか否かの判断は、表面的・形式的に行うことなく、いじめられた児童生徒の立場に立って行うものとする」(文部科学省)

となっている。
ここらへん、Wikipediaによると…

ただし、ある行為が「いじめ」であるかどうかの判定は極めて困難であり、むしろその区別にこだわり過ぎているという指摘もある。1994年にいじめを苦に自殺した大河内清輝君の父・祥晴さんは次のように語っている。
「いじめかどうかは重要ではありません。その行為はいじめではない、と言われたら子どもだって安心する。教職員を含めてみんな面倒なことは避けたくて、いじめではないことを心のどこかで望んでいるのかもしれません。でも本来は、仲間はずれにされたり、傷つけられたり、『ウザい』『キモい』とけなされたりする行為そのものが問題なはずです。定義が曖昧ないじめという言葉は、教委や学校が責任を逃れるための隠れ蓑になっているのではないでしょうか」
という実情があるようだ。
実際、現在進行形で苦痛を強いられている老若男女は多いだろう。


海外の事情も深刻だ。
日本も参考になる海外のいじめの悲惨な現状と対策

というまとめサイトがあり、数例が紹介されている。
スウェーデンのように福祉が充実されすぎると、他人とのかかわりが希薄になって自殺率が激増するという背景もあるようだ。そこそこの地域やしがらみによる関わり合いも、わずらわしいが必要なのでは…という論調もある。

また、感情論から離れた理屈「ペックナンバー理論(飽和集団で発生するストレスが、組織内で最も抵抗できない順番にある弱者に集中し、対象者を排除しようとする働き。満杯の鶏小屋をモチーフによく取り上げられる、「いじめの原理」。最も弱い対象者が排除されたとき、そのすぐ上に位置していた弱者が次のターゲットとなる。…アウシュビッツ収容所で実験したという凄惨な歴史のある理論)というのもあるが、反論もあり、またそうだからといって対策が十分できているとはいいがたい現状もある。

自分の子どもが直面するであろう「子ども社会の現実」とその将来がとても心配だ。

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