2012年3月13日火曜日

むかしの地震の記録(新潟県新発田地域)

新潟県新発田地域の地震の記録から…

紫雲寺の資料


平安時代
西暦806年  大同元年  大津波(辛丑随筆)
         小泉蒼軒 「辛丑随筆」によると 
中条あたりの人の話では大同年間(806年~809年)大津波あり
紫雲寺あたりは平田であったが仏像が村人の夢枕に立ち「近々、大津波が来るから私を高いところへ連れて行ってくれ」
と言われたので高台に連れていくと間もなく大津波が襲った
二王子山の八合目まで波が押し寄せた
このとき地が裂けて潟を成した と記されています
   863年  貞観五年六月  越後大地震おこる
  1045年  寛徳二年八月  越後大津波(鶴牛山下録)
「鶴牛山下録」によると
寛徳二年八月五日 川という川には紫色の苔が生え天気の良い日は金色の光を放った
土は締まらないで砂浜のようだった、海水は濁って田をかき回したようだった
間もなく大津波が押し寄せてきた
この津波で水に浸かること七日六夜
紫雲寺という大きなお寺の寺内にあった僧房が三十三カ寺がも大勢のお坊さんも全て水中に沈んだ
と記されています
        1060年 康平三年五月 康平の絵図できる
        1089年 寛治三年七月 越後絵図できる
  1092年  寛治六年八月  越後大津波 越後の地形は大きく変異し、紫雲寺潟(塩津潟)広くなる
                   蒲原の地は陸地が多くなる
  1099年  康和1年4月  越後・越中大地震
  
室町・安土桃山時代
  1517年  永正一四年6月 越後地震  倒壊家屋多数
  1592年  文禄元年3月  このころ越後大洪水

 新発田藩の日誌「月番日記」(読売オンラインの記事から)
天保4年11月18日の日記には、「弐丈余高波四五度」と、阿賀野川河口に高さ約6メートルの津波が4、5回押し寄せたことや、農家が全半壊し、死亡・行方不明となった漁師もいたことなど、幕府に報告した被害状況が記されている。


「標高1420.3mの二王子山の八合目まで波が押し寄せた」というのは恐ろしい話。
逃げ場がない状態の巨大津波…どこまで備えておけばいいのやらだ。

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